名作文学 5

今回紹介するのは、坪野哲久歌集の『北の人』です。

「戦前のある日、私ども一家が度重なる苦をなめたところの目白坂上の茅屋に、能登のくにから上京した哲久の父が、そのなつかしい老顔をあらわした」


「夜の憩いのひとときのこと、父は三十なかばの哲久に向って、しずかな語調でこう言った。


『五十年まで辛抱さっしゃい。どうにかなるわいの…』」(昭和53年/山田あき『碧巌』)。


この歌人としても著名な坪野哲久の妻の言に、はっと思い浮かぶことばがあります。


哲久と同じく能登に生まれた加能作次郎が、その娘の結婚に当たってはなむけに色紙に書いたということばです。


「人は誰でもその生涯の中に一度位自分で自分を幸福に思う時期を持つものである」。


全く同じといっていいことばではないでしょうか。


「五十年まで辛抱さっしゃい。どうにかなるわいの…」


哲久(昭和63年没、82歳)が生まれた能登高浜(志賀町)は、半島の西、外浦にあります。


したがって内浦と違い、始終荒波で、それだけに冬はどんなにつらい少年時代を送ったかと思われるのです。

名作文学 4

由吉自身は、自分を閉じこめる深い雪の音に聴き入りながら「唐突として、暗い海底を這いまわる一匹の蟹を思い浮べ」ています。


そして「広々とうねる海の底の一画で、海の広さも知らず、蟹は鈍い感覚を身のまわりにひろげて、餌を求めて重い甲羅をひきずりまわっている。


しかしみぞれ雪が暗くわきかえるにつれ、海が荒いうねりを立てるにつれ、甲殻の内側では白い肉がいよいよ豊かに育っていき、卵巣がいよいよ鮮やかな紅を育てていく…。」


つまり題名通り、深い雪の中に、個の意識という重い甲羅を引きずり、ついにそこから一歩も出ることができない・・・


そういうわれわれの残酷な生の形を、そこに彼が垣間見ていたことはまず明らかでしょう。


だからまた「もわもわと轟めきあって落ちてくる」その激しいものの向こうに、改めて日常を超えることの意味を、はっきりとつかみ取ることができたのです。


これは明らかに金沢での豪雪体験がなかったら決して手に入らない思想ではなかったでしょうか。


由吉の文壇登場は昭和46年、小説「杳子」の芥川賞受賞によってです。


そこには「他者を求めながら他者を感じることができない孤絶の苦しみ」が見られるとされ、当時からいわば現代人の断絶の構造に迫る注目の作家として、その評価は高いです。


小川国夫、黒井千次、後藤明生、あるいは高橋たか子、津島佑子らとともに、いわゆる「内向の世代」を代表するひとりでもあります。


先の昭和61年からは、芥川賞選考委員としても活躍しています。

名作文学 3

「翌朝、目を覚ます、部屋の隅々までがしらじらと明るく窓の外では雪がひたすらに降っていた。


それは降るというよりも、大屋根のすぐ上に低くたちこめる灰色の織が、たえず内側で細かく崩れて、ばさっばさっと落ちてくる感じだった。


雪明りのせいで部屋中から濃い陰が失われ、あらゆる物が周囲の物との微妙な連関を失って、それぞれ異様なほどくっきりと浮きあがった」


「雪はすこしも衰えずに降っていた。灰色の空から、ほとんど黒みがかって見える雪片がもわもわと蚕めきあって落ちてくる。


私は窓ガラスに顔を寄せて表を眺めていた」。


そして主人公である私は、とうとう連日雪おろしに駆り出され、最後には捨て場がなくて「おろすというよりも、軒よりも高くなった」雪の上に積むしかなかったと書いているほどなのです。


さらに問題は深刻を極め尿尿汲取りが止まって「町内の何軒かが必要にせまられて厩の汚物を裏のドブ川に流した」という事件までが書きとめられています。


しばしば長い冬を、雪とともに過ごさねばならないわたしたちにとっては、この一つ一つの問題はあまりにも深刻です。


しかし同時にこの重い雪(とくに石川の雪はべタ雪といわれる水雪です)の感覚が、われわれにいったい何をもたらしてきたか・・・。


そうした問題についても、もっと考えてみる必要があるでしょう。

名作文学 2

この雪を書いて、鏡花に並ぶといってもいいくらいの傑作、その一つが古井由吉の「雪の下の蟹」(昭和44年)です。


東京生まれ(昭和12年)の由吉が、東大を卒業、金大ドイツ語教官として、はじめて日本海側を訪れたのは昭和37年4月。


そして40年立教大学に転じますが、その間、彼は史上に残る三八豪雪を体験したのです。


「雪の下の蟹」は、その時の体験をもとに小説化したものです。


「私の下宿している《印房》は、長い長い小路に面している。


小路はこの街の東側を流れる浅野川の、その大橋も間近かに見えるあたりから、町家のひしめきあう罵震牒へ、川の流れとほぼ平行して切れこんでいく。


幅二間たらずの路の両側には、おもに商店から成る家々が壁と
壁をぴったり寄せあい、重い艶やかな瓦屋根をのせて、どこまでも続いている」


・・・彼が下宿していた小鳥屋橋筋(旧並木町裏通り)のような狭い道は、金沢のような非戦災都市にあっては、今も至る所に残されています。


そこへとんでもない大雪が降りはじめたのです。


昭和38年1月11日、この日降り出した雪は、翌日正午には金沢市内で60cm、1月27日にはついに181cmを記録する、というものでした。

名作文学

今日は、古井由吉『雪の下の蟹』を紹介します。


「師走中旬、一夜極めて、肩寒く、足の凍ゆる時、股々として雷の轟くを聞けば、


『もう、お正月の音がするよ。』と母は添寝の児を慰むるなり。


さるほどに寒威一層加へ、夜は明くれども日光を見ず、淡墨に染まれる明窓の障子を開けば賠雲漠々として、灰色の布は一天を包めり。


果せる哉、其夕より罪々として降積む雪は、一夜にして七八寸、乃至一尺に余るを常とす」(明治38年、泉鏡花「北国空」)。


・・・ここで「お正月の音」がといわれているのは、いわゆる雪雷。


この辺の方言で「飾起こし」と呼ばれているものです。


たしかにこの雷鳴とともに、日本海では盛んに獅がとれはじめ、子どもたちは手を打ってはやしたてたものです。


「天にゃ灰立つ下に雪や降る」


「天にゃ灰立つ下に雪や降る」


(金沢のわらべ歌)。


おいしい烏龍茶が育つ環境とは!・・・その5

烏龍茶にさらに求められるのは、水。

「碧水丹山」の「碧水」というのは青い水という意味です。

つまり「清流」です。

これも大切な用件だそうです。

そして気候。

鳥龍茶の茶樹が育つ最適な気候は、冬は暖かく夏は涼しいこと。

さらに降水量が豊富で湿度も高めというのが理想です。

武夷山が烏龍茶の栽培場所として非常に適しているのは、これらすべての条件に適しているからです。

自然の恵みの中で、どこまでもナチュラルに栽培され、手作りでお茶へとつくり上げちれていく鳥龍茶。

そこには私たちが忘れかけた自然との共生というスタンスが見えてきます。

烏龍茶の深い味わいは私たちに本当にいろんなことを教えてくれますよね。

おいしい烏龍茶が育つ環境とは!・・・その4

植物は環境に順応するたくましさがあります。

肥料も与えず、根から土の養分を吸い上げ、水と太陽光線だけで生きていけと言われても素晴らしい味の茶葉を毎年開かせるんですから。

岩茶なんて本当に岩の間みたいなところに木がありますからね。

それだけに、そういうお茶はものすごく味が強い。

つまりたくましさがにじんでいるわけです。

岩茶の魅力は、そういう大自然の恵みと自らに課された過酷とさえ言える環境の中でたくましく生き抜いているからこそ際立つのかもしれません。

おいしい烏龍茶が育つ環境とは!・・・その3

烏龍茶の場合テアニンの含有量はせいぜい数PPm。

それが煎茶だと三〇PPm、玉露になると一〇〇〇PPmにまで達します。

玉露は太陽光線を遮断してテアニンの蓄積を高めます。

日本でのおいしい鳥龍茶づくりに挑戦している方もおられるようですが、なかなかうまくいきません。

味はともかく、香りが出ないのです。

その理由は製茶方法だけではなく、窒素肥料の与え方にもあるのではないかと私は思っています。

鳥龍茶は肥料を多くは与えません。

ですから、もし日本で鳥龍茶を栽培するならば、肥料を与えすぎないこと。

つまりは今までお茶だけではなく農作物を栽培したこともない場所で栽培しなければならないということです。

肥料も少ししか与えないわけですから、鳥龍茶の栽培は集約的というところからはいちばん遠いところにあります。

また、収穫量も少ないものです。

おいしい烏龍茶が育つ環境とは!・・・その2

烏龍茶のおいしさの特徴は香りと味にあります。

香りは本来お茶の葉が持っている花の香りが出てきたもの、昧はアミノ酸の旨味に頼らないで、ポリフェノール成分のバランスからつくり出されます。

その鳥龍茶独特の香りを出すのを窒素が邪魔をしているとされています。

日本では日本茶独特の甘みのあるまったりとした旨味を出すため、過剰なほどの窒素肥料を与えます。

この甘みを出すのはテアニンというアミノ酸です。

本来、茶葉は成長するにつれて、アミノ酸から太陽光の力を借りて緑茶ポリフェノール(カテキン)をつくり出します。

それが、窒素肥料を大量に与えると、テアニンなどのアミノ酸を大量に生成して、その結果、あの独特の旨味が出るのです。

おいしい烏龍茶が育つ環境とは!・・・その1

よいお茶の産地には共通の条件があります。

たとえば、土壌。

よいお茶の採れるところはおおむね赤い土です。

たとえば「武夷岩茶」を育てている武夷山のあたりの環境は「碧水丹山」と呼ばれています。

この「丹山」の「丹」とは赤いという意味で、実際に、周囲に見られる岩は赤っぽく見えます。

この「赤い岩肌」は、白亜紀の地層で、礫岩、紅砂岩、頁岩、凝灰岩、火山礫岩、石英斑岩の六種類からできています。

この紅砂岩が、その赤っぽさを出しているのですが、ではなぜ赤っぽい土がいいのか。

それはもう一つはっきりしません。

ただ、これは烏龍茶だけではなく、静岡などでも赤土のところがありますし、祁門の紅茶の産地でも赤い土です。

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