名作文学 6
まして農の家に生まれ、やがてその生家は焼失、わずかな小作地まで取り上げられたという、予期しない悲劇の連続に、哲久は何とも暗い毎日を送っています。
しかし、こうした不幸な環境から掌にすくいとった何かが、彼の望郷の、その原景をなし精神ともなったものです。
それはまた、苛烈な外浦のあの冬波に象徴される、能登人のすさまじい闘魂・靴擁な生きざまだといってもいいものでしょう。
プロレタリア歌人として名高い哲久が、戦前の長い苦節を生きる中で、はじめてその歌集に望郷の歌を入れたのは、『百花』(昭和14年)においてです。
母のくににかへり来しかなや炎々と冬涛圧して太陽没む
折からの弾圧にもめげず、なお一つの理想を貫こうとする、だからおれはいくらでも辛抱する、親父じゃないが、そうすりゃ何とかなるわい、そんな声も一緒に聞こえてきそうな短歌です。
彼は改めて能登を思い起こすことにより、人間にとって最も大切な営為の何であるかを親父やおふくろの顔とともに生涯忘れまいとしたのです。
いわばこの能登恋いの、切なくてしかも最も濃密に流れている一冊が歌集『北の人』(昭和33年)です。